目力っていうのかな、目が生き生きとしていて生命力にあふれている人と喋っているとそれだけで元気がでます。
テレビや写真で見ると、アフリカの子供たちは凄く目が輝いているんです。
あれには凄く惹かれる。
お金はない、モノはない、ご飯だってお腹一杯食べれない。サッカーしようと思ってもボールがない。
でも目は輝いている。まるで将来はバラ色といわんばかりにきょろきょろとせわしなく目が動くんです。
あぁ、なんて幸せそうなんだ・・・・
じゃ、日本はどうか。
日本の人たちはそれと比べると(古典的な表現ですが)死んだ魚の目。
何でなんだろうって不思議に思いませんか。
だってアフリカの子供と比べたら、お金はある、机だってあるし、パソコンだって持っている、服だって一人で何着もっているんだっていうくらい持ってます。今日の食事に困っている人っています?ほとんどいないじゃないですか。
それなのに将来は不安で、現状に不満があって、楽しくない。面白くない。希望がない。憂鬱だ。
高度経済成長期といわれていた時代には日本の人たちももっと希望にあふれていました。目に力があった。
その希望ってなに?って僕は思うんです。
その希望は「明日は、経済的に、もっと良くなるはずだ」という期待。
その希望はもう達成してしまった。お金はある、モノもあるんだもの。だから希望にはならない。
「明日は、経済的に、もっと良くはなるとは限らない。」そう思っているから憂鬱なのだと思います。
でもちょっと待ってください。
「明日は、経済的に、もっと良くなるはずだ」という希望は、正しい希望ですか?どうして「経済的な幸せ」を求めなければならないのですか。
自分が祝福されて生まれてきて、この世に生きている。出会う人々に愛をもって接する。そういう幸せを求めればいいじゃないですか?
今日よりも明日、もっと自分は人に良いことをするチャンスがある、と思えば希望はなくならないのではないですか。
そうすれば希望を持って日々を過ごすことができると思うんですけれど
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